第2卦 坤為地(こんいち)
坤(こん)・ 純陰 ・ 載せて支える地の力
- 漢字/読み
- 坤 ・ こん(kūn)
- 意味
- 受容的なるもの・純陰の地
- 八卦の構成
- 上:☷ 地 / 下:☷ 地
- 二進数
- 000000(十進 0)
- 序卦
- 第2卦 / 前:01. 乾為天
この卦の本質
乾が六本すべて陽であるのに対し、坤は六本すべてが陰。易経で純粋な形を持つのはこの二卦だけで、残る62卦はすべて両者の混合である。坤は「受け止める側」だが、これを受動と訳すと読み損なう。地は天の働きを受けるが、受けたものを形にして支えるのは地の側の仕事だ。何も育たない土に種を落としても芽は出ない。坤が描いているのは、力を持たない状態ではなく、力が成り立つための条件のほうである。
この卦が出たときの指示は一貫している——先に立つな、しかし従うことを怠るな。卦辞は「先んずれば迷い、後るれば主を得る」と言う。自分から道を切り開こうとすれば方向を失い、状況が示す順序に従えば拠り所が見つかる、という意味。乾の「貞」が真っ直ぐさを持続することだったのに対し、坤の「貞」は牝馬のそれ——遠くまで、逆らわず、しかし止まらずに運び続ける力を指す。
卦辞と象
「坤、元亨、利牝馬之貞。君子有攸往、先迷後得主、利。西南得朋、東北喪朋。安貞吉」
——大いに通る。牝馬の貞(ただ)しきに利ろし。君子、往くところあり。先んずれば迷い、後るれば主を得る。西南には朋を得、東北には朋を喪(うしな)う。貞に安んずれば吉。
「地勢坤、君子以厚徳載物」
——地の勢いは坤なり。君子もって徳を厚くして物を載(の)す。
乾の卦辞が「元亨利貞」の四徳を無条件に並べたのに対し、坤はそこに条件をつける——「牝馬之貞」。牝馬は乾の龍に対応する坤の獣で、龍が天を翔けるのに対し、牝馬は大地を、荷を負って、どこまでも歩く。強さの種類が違うのであって、強さの量が少ないのではない。「西南に朋を得、東北に朋を喪う」は方位の吉凶を説いた最古層の記述で、後世の注釈はこれを「同類と組むべき局面か、孤立してでも進むべき局面か」の判断として読んできた。
牝馬——この卦の核となる象徴
坤の徳を一語で示すのが牝馬(ひんば)である。馬はもともと乾に属する動物だが、そこに「牝(めす)」を冠することで、坤は乾の力を否定せずに引き受ける。速く走る力はある。ただしその力を、自分の行き先を決めるためではなく、託されたものを運ぶために使う。ヴィルヘルム=ベインズ訳がこれを the mare と訳し、坤の徳に devotion の語を当てたのは、この二重性——力を持ちながら方向を委ねる——を英語で写そうとしたためだ。
この象徴は六爻の読み方も規定する。乾の六爻が龍の上昇の段階を順に追ったのに対し、坤の六爻は上昇しない。霜を踏むところから始まり、袋の口を括り、黄色の裳を纏い、最後に野で龍と戦って血を流す。段階の物語としてではなく、受け止める側が置かれうる状況の目録として読むほうが当たる。
ヴィルヘルムはこの卦をどう読んだか
リヒャルト・ヴィルヘルムの独語訳『易経』(1924)は、ユングが序文を寄せた英訳の底本であり、西洋が易経を読むときの標準的な入口になった。坤についての彼の注は、この卦を「乾の反対物ではなく対応物」と読み切る点に尽きる。
それは創造(乾)の完全な対応物である——反対物ではなく、対応物である。すなわち、補完であって闘争ではない。それは精神に対する自然、天に対する地、時間に対する空間を表す。
リヒャルト・ヴィルヘルム『易経』独語注より(QOOQ Inc. 訳)
ここが坤の理解を分ける。乾と坤を「強い/弱い」の対立として読むと、坤は劣位の卦になってしまう。ヴィルヘルムは階層はあるが対立はない、と繰り返す。坤が悪となるのは、坤であることをやめて乾と並び立とうとしたときだけで、それが上六の「龍、野に戦う」に対応する。
ヴィルヘルムの坤の注はこの数倍あり、牝馬の象徴、六爻それぞれへの注、象伝「厚徳載物」の読みまで続く。全文(64卦分)は易経AIアプリに収録している。
六爻の解釈
初六(しょろく)——下から一本目の陰爻
「履霜、堅冰至(そうをふみて、けんぴょういたる)」
霜を踏んだら、やがて厚い氷が来る。まだ小さい兆しのうちに、その先に何が育つかを読めという爻。坤の第一爻が警告から始まるのは偶然ではない。受け止める側は、いったん始まってしまったものを止めにくい。だからこそ始まりの温度に敏感であれ、ということ。
小象伝「履霜堅冰、陰始凝也。馴致其道、至堅冰也」——霜を履んで堅氷に至るは、陰の始めて凝るなり。その道に馴(な)れ致(いた)れば、堅氷に至る。
六二(りくじ)——下から二本目
「直方大、不習无不利(ちょくほうだい、ならわざるも利あらざるなし)」
真っ直ぐで、方正で、大きい。坤のなかで最も評価の高い爻。「習わずして利あらざるなし」——技巧を凝らさなくても不利がない、という意味で、作為を加えないことがそのまま正しさになる稀な位置。自分を飾らないでいられるなら、いまはそれでよい。
小象伝「六二之動、直以方也。不習無不利、地道光也」——六二の動くは、直にして方なり。習わずして利あらざるなきは、地の道の光(おおい)なるなり。
六三(りくさん)——下から三本目
「含章可貞。或従王事、无成有終(しょうをふくみてていにすべし。あるいは王事に従うも、成すことなくして終わりあり)」
美しさを内に含んで表に出さない。仕事に加わっても功を自分のものにしない。「无成有終」——成果は自分の名には帰さないが、事は終わりまで運ばれる。手柄を主張しないことが、ここでは損失ではなく完遂の条件になっている。
小象伝「含章可貞、以時發也。或從王事、知光大也」——章を含みて貞にすべきは、時をもって発するなり。あるいは王事に従うは、知の光大なるなり。
六四(りくし)——下から四本目
「括嚢、无咎无誉(かつのう、咎もなく誉れもなし)」
袋の口を括る。何も出さず、何も入れない。称賛もされないが咎めもされない。沈黙が最善という判断が下される、易経でも珍しい爻。言いたいことがあるときほど、この爻は「いまは言うな」と告げる。
小象伝「括囊無咎、慎不害也」——嚢を括りて咎なきは、慎めば害あらざるなり。
六五(りくご)——下から五本目(君位)
「黄裳、元吉(こうしょう、げんきつ)」
黄色の裳(も)を着る。黄は中央の色、裳は下半身に着ける衣。最高位にありながら下に位置する装いをするという徹底した謙遜の像で、坤で唯一「元吉」——最上の吉——が与えられる爻。権威を得た者が、その権威を誇示しないときに何が起きるかを描いている。
小象伝「黃裳元吉、文在中也」——黄裳の元吉なるは、文(あや)の中に在ればなり。
上六(じょうろく)——下から六本目(頂上)
「龍戦于野、其血玄黄(りゅう、野に戦う。その血、玄黄なり)」
陰が極まり、陽と正面から争う。玄(黒)は天の血、黄は地の血で、双方が傷つく。受け止める側が受け止めることをやめ、主導権を奪いにいったときの帰結。坤の徳も、限界を超えればその反対物に転化する。
小象伝「戰龍於野、其道窮也」——龍、野に戦うは、その道の窮まればなり。
用六(ようりく)——六爻すべてが六(極めて稀)
「利永貞(えいていに利ろし)」
六爻すべてが6(変陰)として出た場合、全爻が変じて卦は第1卦・乾へと転じる。易経に二つだけ存在する特例のもう一方(一方は乾の用九)。「永く貞しきに利ろし」——受容を貫き通したとき、それは創造の力そのものに変わる、と読む。
小象伝「用六永貞、以大終也」——用六の永貞なるは、大をもって終わるなり。
実際の問いへの当てはめ方
変爻なしで坤が出た場合、いま必要なのは主導ではなく支持である。企画を出す側ではなく支える側に回る、決めるのではなく整える、というふうに役割を読み替えると当たりやすい。ただしこれは「何もしなくてよい」の許可ではない。地は何もしていないように見えて、すべてを載せている。
変爻がある場合は該当する爻辞を読む。坤の爻は段階ではなく状況の目録なので、乾のように「自分はいまどの段階にいるか」ではなく、「いま自分はどの状況に置かれているか」を照合するとよい。初六なら兆しの段階、六四なら黙るべき局面、六五なら謙遜が効く局面、上六なら争いに入りかけている。
変爻によって坤が別の卦へ転じる場合、その之卦(しか)は、受け止めたものが何に育つかを示す。どの位置の陰爻が陽に変じたかに注目——それが、あなたの状況において「受けるだけでなく、自分から動いてよい一点」である。
坤が答えやすい問い
- 「自分が主導すべきか、任せるべきか」——坤は任せる側を指す。ただし丸投げではなく、受けたものを支え切る責任を伴う。
- 「いま発言すべきか」——六四が出ていれば明確に「するな」。括嚢は沈黙が最善という判断で、坤のなかで最も具体的な指示のひとつ。
- 「評価されないのに続ける意味があるか」——六三の「无成有終」がそれに答える。功が自分に帰さないことと、事が成らないことは別である。
- 「なぜ順調だったのに急に対立が起きたのか」——上六を読め。受け止める側が主導権を取りにいった瞬間に、坤は龍との戦いに変わる。
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